当たり前の様に毎日飲んでいるビール。
しかし、日本のビールってどのように誕生したのでしょう?
そう、国産ビールの歴史ってイマイチよく知りません!
さて、こちらでは下記ポイントを踏まえて、『国産ビールの歴史』に関して解説していきたいと思います。
国産ビールの歴史!国産ビール誕生はどこが発祥?
国産ビールの歴史:日本人とビールとの出会い。
日本人が始めてビールに出会ったのは、1812年(文化9年)。
長崎出島のオランダ商館長「ヘンドリック・ドゥーフ」が醸造したビールだと言われています。
この頃の日本人は、ビールに興味があると言うよりも、西洋文化に少しでも触れたいと言う思いで試していたのかもしれません・・・。
日本で初めてビールを造った人物とは
1853年(嘉永6年)に日本人で始めてのビール醸造を行った人物が登場します。
それが三田藩(現在の兵庫県三田市)の蘭学者、川本幸民です。
当時、日本は鎖国時代であり、そんな中ペリーの黒船来航も合間って、幕府も庶民も一種のカルチャーショックに陥りました。
ペリーなどは怪物紛いに思われ、異国には「適わない」と言う風潮が広まっていた時代です。
そんな折、川本幸民は蘭学書からビールの醸造法を学び取り、自ら茅場町の自宅でビール造りを行い始めました。
そして、蘭学者仲間や周りの人々に振舞って「我々でも作り方さえ解れば何でも出来る!」と、異国に対しての「恐れ」を掻き消す目的でもあったようです。
しかし、現在では日本のビール造りの祖であり、キリンビールでは「コウミビール」として、川本幸民が残した「化学新書」に記載されているその当時のビールを復元しています。
日本で初めて設立されたビール会社とは
日本で始めてのビール会社は、1869年にドイツ系アメリカ人、ウィリアム・コープランドによって横浜で開業しました。
天沼という池の側で醸造所(スプリング・バレー・ブルワリー)を建設し、そこから出る湧水を利用してビール造りを試験的に行っていたようです。
このビールは、横浜に多く駐留していた外国人によく飲まれ、「天沼のビアサケ」として親しまれていました。
しかし、1885年(明治18年)に経営不振に陥り、「ジャパンブルワリー」という欧米会社に引き継がれ、その後1888年(明治21年)、キリンビールとして明治屋から発売される事となりました。
国産ビールの誕生:国産ビール発祥の地!
日本人の手によって、初めてビール醸造を行い販売を行ったのは、澁谷庄三郎という人物だとされています。
大阪は天満で清酒の醸造や綿問屋を営んでいた澁谷庄三郎は、1871年(明治4年)に大阪通商会社の企画でもあったビール醸造の計画を引き継ぎ、1872年(明治5年)にオリジナルビールの販売を開始しました。
その名も『澁谷ビール』!
年間45キロリットル程の醸造量だったようですが、中之島界隈で販売され、今で言うところの「地ビール」の元祖とも言える存在だったようです。
また、日本人によって醸造されたビールを販売したという事で、『国産ビール発祥』とも言われています。
大手国産ビールメーカーの誕生
明治時代に入ると様々な国からビールが輸入され、日本政府は「独自でビール造りを行えないか」と模索し始めます。
そこで、欧州や欧米の文化視察も果ね、ビール醸造技術を調査し始める事となるのです。
そして、1876年(明治9年)に未開の地であった北海道で公営として札幌冷製麦酒が造られ、その後、民間に買い取られて「札幌麦酒株式会社(現在のサッポロビール)」が誕生するのです。
1889年(明治22年)には、大阪でも財界人によって「大阪麦酒株式会社」が設立され、今日のアサヒビールが誕生します。
1887年(明治20年)には、「日本麦酒株式会社(エビスビール)」が東京の恵比寿に設立されますが、札幌麦酒が東京へ進出して来た為、日本麦酒は窮地に追い込まれ事となります。
しかし、三井物産の馬越恭平氏により政府を動かし、大手3社(札幌、大阪、日本)を統合させるように持って行き、1906年9月に日本最大の「大日本麦酒株式会社」が誕生したのです。
その後、2度の大きな大戦を乗り越え、日本のビール会社がキリンと大日本麦酒の2社だけが存在する事となります。
しかし、アメリカ政府はその状況を危惧し、昭和24年、大日本麦酒をサッポロビールとアサヒビールに分割し、大手3社のビール会社が誕生しました。
その後、蒸留酒製造を行っていたサントリーが昭和39年にビール業界へ参入し、現在のBig4が誕生するのです。
『国産ビールの歴史(発祥の地とは)・日本のビールの歴史をご紹介!』は以上となります。